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かれんの闘病 3
旅立ち

 

入退院を繰り返す。

 

しかし、退院から約半年後、やはり病気は再燃してしまいました。

体調を崩し、再々入院を余儀なくされました。

これ以上の手だてはありません。しかし、ステロイドという薬で脳の炎症を抑え、むくみを取ることによって、ある程度の症状の改善は図られます。しかし、あくまでこれは対症療法であって、腫瘍自体は悪化していきます。また、ステロイドには副作用があり、食欲が増進されることもあり、極端に太ってしまいます。特に顔はふっくらと丸くなり、著しい容貌の変化が起きます。これは特に女の子の場合、堪え難い面もある過酷な副作用です。

 

ある程度の症状の回復が見られたら、一時的な帰宅を経て退院となります。

最期の退院時、二月、かれんは幼稚園を訪れ、卒園証書を受け取りました。

かなり太ってしまいましたが、車椅子姿のかれんを園児のみなさんがやさしく迎え、再会をとても喜んでくれました。

かれんも嬉しそうでした。

しかし、これがお友達との最期の対面となりました。

 

最期の入院。

 

その後、症状が悪化、三度目の入院となりました。

治療は、ステロイドの投与、痛みのコントロールのため

麻薬系の沈痛薬を使用しました。

そして、テモダールでの抗がん剤治療に最期の希望を託していました。

 

わたしは、それと並行して、小学校入学の準備を進めていました。

学校にわたしが赴き、校長先生に娘の病気と入学にあたっての希望を伝えました。

その時の女性校長は、とても同情してくださり、支援を約束して下さいました。

この学校は自宅のすぐ前にあり、近年立て替えられ、バリアフリーなど、設備的にも申し分のない学校でした。ここへの入学が、かれんのそしてわたしたち親の唯一の目標であり、希望でした。

いち早く購入したピンク色のランドセルを病院で嬉しそうに、触ったりしょったりしていました。

病院の計らいで、ひとまず院内学級に入学し、退院できたら、地元の学校へ移るということが決まっていました。

 

かれんの旅立ち

 

しかし、運命は一筋縄では行きません・・・。

きしくも院内学級入学の前夜、呼吸に異変が起こり、人口呼吸器の挿管という事態になってしまいました。

何とか一命をとりとめたものの、かれんの意識は薄れ、状態もがくんと悪化してしまいました。

血圧等が安定しません。いつ何があってもおかしくない状態です。

 

しかし、入学式は、病室に場所を移し、多くの看護師さんたちに見守られて盛大に行うことができました。かれんの心にもきっと祝福の声が届いていたと思います。

 

翌日には、地元の小学校の先生が訪れてくださり、取り寄せた教科書をベッドサイドで朗読して下さいました。

かれんにとって最初で最期の「授業」となりました。

また、仲良しの従姉が全教科の教科書を一気に読み聞かせてくれて、

「はい、かれんちゃんの一年生の授業完了!!」・・・となりました。

 

挿管から一週間、運命の日がやってきました。

朝から血圧、呼吸の数値が安定せず、看護師がせわしなく病室を出入りしていました。

 

2011年4月13日午後9時43分・・・かれんの呼吸はゆっくり止まり、わずか6歳で天使となって旅立ちました。

かれんとわたしたち家族の闘いは終わりました。

 

「かれん、頑張ったね・・・ありがとう・・きみにあえて幸せだった・・・」

 

深夜11時、看護師、医師に見送られ、彼女の人生にとって、かなりの時間を過ごした病院を後にしました。

母親に後部座席でやさしく抱かれながら・・・。

 

今は病気から解放され、遠い国で遊んでいることでしょう。

そして、わたしたちもふたたび会える日が来ると信じています。

 

そして、この後、父親は患者会を作ります。

そうでもしなければならないほど、自分が空っぽになりました。

そこで、かれんと同じ運命を辿った多くの幼い子どもたちの現実を再び目にするのです。


その病気は「小児脳幹部グリオーマ」

・・・いまだ治療法が見つかっていない「不治の病」です。

闘いは終わってなどいません。

わたしたちの本当の闘いはこれから始まるのです。


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